ミニマムに憧れながら、マキシマムに生きている

ホテルの部屋に泊まるたびに、思うことがあります。
なんて気持ちのいい空間だろう、と。
余計なものが何もない。目に入るものすべてが、計算されたように美しい。洗練された旅館の静けさも然り。「こんな空間で毎日暮らせたら」と、しばらくその静寂の中に浸っていたくなります。
でも、自分の部屋に帰ると、そこには全く別の世界が待っています。
可愛い柄の缶の入れ物。いつか使おうと取っておいた手芸の資材。長年かけて集めてきた、小さな雑貨たち。どれも、見るたびに心が躍るもの。どれも、確かに「好き」と感じて手元に置いてきたもの。
スッキリしたい。でも、手放せない。
この矛盾の中で、私はずっと悶々としていました。

捨てられない私は、ダメな人間なのか
収納場所は限られています。部屋は雑多で、お世辞にも美しいとは言えない。
「片付けられない自分は、過去に執着した決断力のない人間なのでは」
そんな言葉が、頭の中をぐるぐると回っていました。ミニマリストへの憧れと、マキシマムな現実の間で揺れながら、どちらにも振り切れないまま、日々が過ぎていく。
理想と現実。ミニマムとマキシマム。両立させられるのか、そもそも両立させたいのか。どの方向に向かいたいのかさえ、わからなくなっていました。

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希林さんの言葉に、救われた
ある日、映画「神宮希林 わたしの神様」を観ました。
樹木希林さんの邸宅で、ご自身がお掃除をしている場面がありました。スッキリとした、無駄のない、落ち着いた空間。ティッシュ一枚にしても丁寧に、最後まで使い切る。物一つひとつと、真剣に向き合っているように見えました。
希林さんはこんな言葉を遺しています。
「物にも冥利があるじゃない」
物が本来の役割を果たせるよう、最後まで使い切ること。捨てることが美徳なのではなく、物と真剣に向き合うこと。
その言葉を知ったとき、何かがすうっとほどけた気がしました。
私が手放せなかったのは、決断力がないからじゃなかった。それぞれの物に、ちゃんと向き合っていたから。物に宿る時間と記憶を、感じ取れていたから。

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「捨てられない」は欠点じゃなかった
長い間、自分を責めていました。
でも今は、こう思います。
これは欠点じゃなかった。手放せない物たちは、私が選び続けてきた証。物に宿る時間と記憶を感じ取れる、感受性の話だったのだと。
ホテルのような洗練への憧れは、今もあります。でも私はきっと、マキシマムな感受性もずっと持ち続けていくのだと思います。
「見せる収納」と「隠す収納」を少しずつ整えながら、自分だけの空間を作っていく。答えはまだ出ていません。でも、悩みながら、愛でながら、少しずつ前に進んでいこうと思っています。

同じように悩んでいるあなたへ
捨てられなくて、いい。
あなたが愛でてきたものは、あなただけの歴史です。
ミニマムに憧れながら、マキシマムに生きている。それもまた、一つの豊かさなのかもしれない、と私は今、静かにそう思っています。

次回は、私の「時を重ねた宝もの」シリーズをお届けします。第一回は、母が大切にしていた古い料理本のお話です。