若い頃の「好き」は、
どこか急いでいました。
流行に追いつくこと。
誰かの目に映ること。
置いていかれないこと。
好きでいるはずなのに、
いつも少し息が切れていた気がします。

若い頃の「好き」は、速かった
あの頃は、
憧れに追いつくことが大切でした。
雑誌に載っているもの。
誰かが素敵だと言っているもの。
それを身にまとうことで、
自分も少し前に進める気がしていました。
「好き」は確かに本物だったけれど、
そこには
誰かの評価という追い風が、
いつも吹いていたように思います。

今の「好き」は、静かで重たい
年齢を重ねた今、
私の「好き」はとても静かです。
選ぶ数は減りました。
そして簡単には増えなくなりました。
それでも、
手元に残ったものは
どれも簡単には手放せません。
理由を聞かれたら、
うまく説明できないかもしれない。
けれど身体や心が
「これは必要だ」と
迷わず知っているものばかりです。

年齢と一緒に育った、私の「好き」な物たち
装うことは、
誰かのためではなく
自分の心を整える行為になりました。
踊ることは、
無理をすることではなく
今の身体と相談しながら
対話する時間になりました。
そして、
手を動かすこと。
縫うこと、作ること。
言葉を使わずに
自分を取り戻すような、
静かな時間が
生活の芯になっていきました。
若い頃には見えなかった「好き」の役割が、
今ははっきりとわかります。

好きは、人生を後ろから支えてくれる
好きなものは、
前に出て主張しなくてもいい。
拍手を浴びなくても、
誰かに認められなくても、
そばにあるだけで
人を強くしてくれるものなのだと
今は思います。
好きは減らなかった。
ただ、深くなっただけでした。
そしてその深さは、
年齢と一緒に
ゆっくり育ってきたものなのだと思います。
この場所「kukunadoll」では、
そんな“育った好き”を
これからも静かに綴っていきます。



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